いなばやまじょう

hideaki102004-12-01

岐阜に出張した。歴史好きな私としては、ここは、前から気になっていた所で、ほんとはあの山に上って見たかったんだけど、時間がないので今回遠くから見るだけだが、やっとほんまもんが見れた。安い携帯の写真なんでわかりにくいが山の頂上にでーんとお城が座っている。もともとの名前を稲葉山城という。

土岐氏という豪族が収めていたこの肥沃な地方を、悪くいうと、乗っ取っとったのが、
斉藤道三で美濃のマムシといわれる有名な人。この人が峻険な山のてっぺんにお城を建てた。道三の娘婿が"うつけ"の殿と言われたあの織田信長。後にこの地を岐阜と命名したのも信長である。

二人が初めて顔合わせしたときの話は相当に面白い。"うつけ"と名高い信長を会う前にどんなやつか見てやろうと、行列の通るであろう街道を調べ、会う予定の手前のあばら家に隠れて、板戸の穴から行列を除いていた道三に、いきなり行列から外れた信長がその板戸の穴に小便をかけたという話。実は前もって道三の行動を調べていたのは信長の方だったという話で、後に道三は信長はものになると思ったということらしい。人に小便をかけてものになるんなら、俺は毎日かけてやるぞ、とは思わなかったが、ほんとかうそかは別にして、逸話としては面白い。

英雄おのずと英雄を知るというが、天才が二人、この美濃の地にいたとということかな。もっとも隣の甲斐の国には武田信玄上越には上杉謙信と、信長は直接対自はなかったものの、相手には事欠かなかったから、この頃は天才ばかりが割拠してたんだろうな。

それにしてもその山以外は、ひらぺったい土地が広がり、田んぼもあり、気候もいいし、
確かに作物は取れるだろうと思った。あんな山のてっぺんに自分たちと一部の家臣だけ住んでいて、一般ピープルは平地で米を作っていたということだが、確かに攻めにくいだろうけど、攻めてきた相手が青田刈りして、住民だけを苦しめて帰っていたなら、これも困るよな。。なんて考えていたら、即、美濃加茂という駅についた。

こんな田舎の駅でいきなり、場違いな光景。え?なんでこんなところにこんなに大勢の外人が?しかも明らかに南米系と思われるうら若き女性ばかりがたむろしている。ふうん、なにか不思議だとは思ったが、即タクシーへ。

訪問先に着き、相手の責任者と打ち合わせ後、食堂で昼飯でも一緒にと、行ってこれまた吃驚。6, 7 割が明らかにラテン系のしかも若い女性ばかり!いやもう、腰が抜けそうになった。全く言葉がわからない。で、話を聞くと、工場の現場では安い労働力でブラジル人女性を雇っているそうである。だから作業標準も人事などの書類もすべてポルトガル語。これは苦労するだろうなと思ったが案の定、些細なことでも揉め事は耐えないらしい。しかし、賃金は破格に安く、それを差し引いてもあまりあるというこである。いやあ、世の中面白いねえ。。そういえば信長は南蛮渡来の物がすきで、ポルトガル人とは商売で付き合いがあったらしい。何百年たってもこういうつながりはあるもんだと感心た。

この少し北の方に下呂温泉があるが、今回は全く暇なし。。次回は必ずそこに足を伸ばすぞと密かに期して、岐阜を後にした。

オブリガード。